lakṣmīnārāyaṇa

目の前に横たわるひとのからだに触れ、 

 こころの奥の、いちばんやわらかいところにつながる。 


 そうしてその人と自分との境目を完全になくしひとつになった時、

 初めて聴こえてくる音がある。 


 聴こえてきたその音をわたしの「音」で包み込み、愛し合うように、合わせ奏でる。 

 すると、 その人のからだは、少しずつ少しずつ、生まれ持った「音」に満ちていく。


 人という楽器を愛で調律するその時間に、 

 わたしは『マントラニドラ』と名前をつけた。


 以前、わたし自身がわたしの「音」がどんな音かを知ったのはいつだったか と

質問されたことがあった。


 わたしがわたしの「音」を知ったのは、

2015年マントラのアルバムをレコーディング中 この歌を歌った時のこと。 


 その日までわたしは自分の声を愛する方法を知らなかった。 

 わたし自身を愛する方法を知らなかったわたしが、 

その顕れである自分の声を愛することができるはずがない。 


 わたしも愛し方を知らない「わたし」を、 

さらけ出し、受け入れ、あきらめ、愛し続けたレコーディングという作業の途中、 

わたしという楽器は壊れた。 


 むき出しになった「わたし」という存在を前に、 

それが形になって生み出されることが怖くて怖くて、必死になって隠そうとした。 


 顕れた「わたし」は、あまりにも美しかったから。 


 「わたし」という音の上に、幾層も偽りの音が重ねられた楽器を元の音に調律するために、

 いつも目の前にいる誰かのためにしていた愛の行為を、自分自身にはじめて施した。 


 エンジニアさんにチャーチオルガンでレの音を鳴らし録音ボタンを押してもらった後、

 一人、何度もため息をついて、わたしとわたしの境目をなくし、聴こえた音。 


 神さま、神さまと、祈り叫び救いを求める音。 

 そして、その祈りを包み込むような、どこまでもどこまでも深く慈愛に満ちた音。 


 その音をそのまま、歌にした。 


重なり合うふたつの声。 

 あの時わたしがわたしを癒すために奏でた、ふたつの音からなる歌。 


 どちらも、ワンテイクで録音した。 

 二度と同じ歌は生み出せない。


わたしはわたしの「音」を知り、

わたしの声を愛する喜びを知り、 わたしという存在そのものを愛せるようになった。 


 この歌は5年経った今でも、わたしという楽器が壊れそうになるたびわたしの「音」へと戻してくれる、わたしにとってのお護りのような歌です。 

 そして、今までこの歌を聴いてくださったたくさんの方が、この歌に込められた祈りを受け取ってくださっていることもまた、大きな大きな喜びとなってわたしを支え続けてくれています。 


 手から手へと、というつながりを大切にしたくてなかなかはじめられなかったけれど、 

 もっとたくさんの方に祈りの歌を届けるために、 

HIMIKA musicのサイトから楽曲をダウンロードができるようにしました。


 これまでに発表した吉原駒世名義の楽曲全てをダウンロードできるようにする前に、 

まず最初に、大切なこの歌を。 


 この歌がひとつでも多くの美しい楽器に、 

その「音」を取り戻す力を与えてくれますように。 



 『lakṣmīnārāyaṇa』 

 by Komayo Yoshihara 




 ダウンロードはこちらのサイトから 

 download at https://www.himika.jp/komayo-download

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